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2009年1月

2009年1月31日 (土)

歩きながらポスター数え

ところで昨年から気になっていたことがあって、それは選挙用ポスター。

歩いていると町のあちこちで見かける。

それは、政党のイメージポスターだったり、近く行われるであろう衆議院選挙の候補者の写真であったり、各政党の代表の写真であったりいろいろある。

いったい各政党がどのくらいの頻度と言うか、量と言うか貼ってあるのだろうとの疑問が持ち上がり、ウォーキングついでに数えてみようと思いついた。

こういうくだらないことはすぐ思いつく。

数えるルールは、各家の塀に貼ってある場合、同じ政党の代表の写真、候補者の写真、党のイメージ標語などのポスターは、何枚貼ってあっても、建物や、敷地が同じと思われるものは1件とカウント。建物や敷地が違えば候補者の写真1枚でも1件とカウント。実は候補者の写真などは1軒の塀に3枚ぐらい並べて貼ってあったりするので、こうしないと数えきれない。

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この塀の場合、手前から公明1、民主1、共産1、自民1、とカウント。

その結果、一昨日はお隣の区を歩き
自民18、民主35、公明24、共産13、その他5、か所であった。
その他は、市議会議員らしいのだが党派が不明のもの。
そして昨日区内を歩き数えたところ
自民20、民主11、公明14、共産10、その他0、であった。

トータルすると、
自民38、民主46、公明38、共産23、その他5という結果になった。

歩いたコースは全く無作為、目的地に向かって歩きながら目についたポスターを数えたもので、紙と鉛筆を持ち、見えると正の字を書きながら歩いた結果である。

一日目は民主が多く、二日目は自民が多い。どうも、その地域で有力な市議会議員さんがいたりするとその近所でその党のポスターが多くなり、地域によって若干の偏りが見られるようなのだが、真意はよくわからない。また写真のようにすべての党が張ってある場合もあるし、自民と共産、民主と公明、と言った現政権の与党野党の関係を無視したような貼り方のところも結構ある。また商店街には意外にポスターがなかったり、マンションにもほとんど貼ってない。大きな農家や、菜園の塀には自民のポスターが多いような気がした。社民党と国民新党などのポスターはどこにも見られなかった。

歩いた歩数は1日目、16000歩、2日目8000歩、歩行時間はトータル5時間ぐらいだったろうか。普段歩いているとあんなに見かけるようなのに、いざ数えてみると意外と少ない気がした。

単なる暇つぶしのつもりであったが、まさしく暇つぶしになった。

そうそう、麻生さんの写真は隣の区で少しあったが、我が区では1枚もなかったなぁー。

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古い道、大山街道

昨日歩いたのは溝口エリアの大山街道。古くからの商店街で、いまだに懐かしいたたずまいの店舗が残る。

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昔は店舗であったろう建物。

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金物屋さんには大きな鉄釜があったり、

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材木屋さんも昔からあったのだろう。

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ほとんどの店舗や建物は徐々に建て替えられ、昔の面影はなくなっている。

それ以前に、街道そのものが少しずつコースを変えて、昔の道がわからなくなってきているような気がする。

この辺も、今ではもっと西側にバイパスができて、車はその道を走っていく。

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2009年1月29日 (木)

昨日の続き江川せせらぎ遊歩道

昨日、歩くコースに、久しぶりの江川せせらぎ遊歩道を通ってみた。

途中、コサギがいて、見ていると餌を追っている。近くをウォーキングの人も歩くし、遊歩道のわきには車道もあって、車も行きかうのだがそちらには気にも留めず、餌をとることに集中している。カメラを構えていると一瞬の早業で一突き、口ぱしにはザリガニが捕えられていた。

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おみごと。

鳥は、ほかに餌をとる場所がなく、こんな人間の中にまで入ってくるたくましい奴になったと見るか、それとも人間が脅さなくなったので、人の近くまで来れるようになったと見るか、マァどちらでもいいのだが、野生の鳥を身近に見られることはうれしい。

カモたちはたくさんいて、餌を与える人がいたりするようで、すっかり定着している。

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人が近づくと寄ってきたりするのもいる。

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花を見ると梅も咲いて、オット、早くも桜が咲いている。

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早咲きの河津桜。まださすがに一部の木の一部分だけこんな感じですが、温かさが続けば1,2週間で満開になりそうだと、手入れをしていた人が言っていた。

春はもうすぐ・・・・でしょうか。

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2009年1月28日 (水)

せっせと日吉へウォーキングのついでに

昨夕きれいな夕焼けだったので、今日は晴れるだろうと考え、天気予報も晴れだったので、今年初めての山行きをいよいよ決行するぞと朝暗いうちに空を見上げるとなんとしっかり曇りで、空のどこかに青空でもないかと探しては見たが、ちっともそんな気配すらなく、結局あきらめるはめになった。山は延期。

そこで、肩の治療に行こうとなって、ついでにしっかりウォーキングしちゃえと思い歩きだした。歩いて行くと、ちょっと面白い看板を見かけたのでそうかそうか、今日は面白いサインを探して写真に撮ろうと思いついた。

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これは豚の焼肉屋さん。豚火門。道路側の壁面に設置。なんと読むのだろう。火鍋は聞いたことがあるけど。

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外国国籍の料理屋さんの突き出し看板。カラオケの営業を12時から4時半までやって、30分休んで5時から9時半まで営業するように見える。昼間は700円で夜は600円なのだろうか。
実際にはすでに飲食店ではなく、看板を変えないままスポーツ用品店になっていた。

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可愛いケーキ屋さん。

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これはおしゃれな、ヨーロッパ調の歯医者さんの看板。

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元住吉商店街ブーメラン道りのオブジェ。

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見えにくいけどアーチのオブジェ。ロバと犬と猫と鶏。

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ついでに元住吉駅から小杉の高層マンション群を眺める。つい最近、去年ぐらいにほぼ完成して、僕の知り合いもおひとり入居した方がいます。

最近あちらこちらに高層のマンションができていて、住まれる方は良いのだろうが、近隣で毎日眺める方は、ちょっとつらいのではないかと案じてしまう。

今日のウォーキングと関係ないけど、今、二子多摩川に建てられている高層マンションの写真。

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多摩川の向こう側に建っているのだけれど途中の段階でかなりのボリューム感がある。

歩いていると、目標になっていい場合もあるけれど、東京都心のように空が見えなくなるような感じはちょっと嫌ですね。

今日のウォーキングでは他にも写真を撮ったのだけれどそれは次回に。

あっ、そうそう、その写真は花とか鳥です。

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2009年1月27日 (火)

嵯峨山麓の水仙

房総半島、保田のちかくの嵯峨山山麓の水仙の映像です。 2009年1月24日に撮影しました。ちょうど満開で、あたりにはスイセンの良い匂いが満ちていました。

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2009年1月25日 (日)

房総 嵯峨山の水仙ついでに鋸山

突然、N君から同級生たちと嵯峨山の水仙を見に行くよといわれ、昨日行ってきた。

N君が地元役場に問い合わせると、「今が見ごろのピークです。急いでどうぞ」といわれたたとかで、それこそ急いで計画をまとめ、N君とS君が手配をしてくれた。

集まったのは3ババ、3ジジ、計6人。急いだ割には良く集まった。

天気予報は晴れ。気温も今日は緩むとの予報で、ウキウキと向かったのだが、めざす房総半島には黒い雲が立ち込め、東京湾をはさんで川崎側とは気象状況が違うようだ。

怪しい空を向こうに見て、車は順調に目的地に向かっているはずであったが、「あれ、これ違う」となって、これには僕も困った。実はナビゲーションを頼りに走っていくとナビが「みぎです、右です」という。で、右に行くとオット、それは新設された圏央道であった。仕方がないので次のインターまで走り、Uターンしてもとの道に。僕の3台前の車も同じことをやっていた。話はこれで終わらない。館山方面に向かっていくと、今度は次のインターで降りろという。おかしいとは思いつつ道に自信がないので降りると、今度は乗れという。何のことはない、馬鹿なナビが新しい道路のデーターを持っていないため、以前の高速が途切れていた部分で一般道に案内したのだ。って、自分が馬鹿なだけですが。

そんなこんなで30分ほどロスをしながら、鋸南保田で高速をおり、一般道を小保田バス停で左折、細い農道を嵯峨山登山口に到着した。

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そこはもう一面の水仙畑で、確かに今が盛りと咲いていた。

その中を嵯峨山に向かって歩く。

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ところが、山道にさしかかったとたん、ここ何日か降った雨の影響で道がグチャグチャ。

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登りに差し掛かると粘土状の土が滑って登るのもおぼつかない。単純に花をめでるピクニックぐらいの考えなので、皆さん足回りは運動靴やウォーキングシューズ。ところが道は本格的な山道で沢にかかる橋も丸太を渡したものであった。

早々に撤退を決め、さてどうしようかとなった。特に次善の策を考えてもいなかったので、山とは逆の農道を登り、そこここに咲いている水仙を眺め、飲み物とお菓子でちょっと一服、ひなたぽっこをしながらのんびりした。

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食事は、ネットで調べた「漁師料理かなや」で海鮮丼。

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店も広いのだが、お昼時にはほぼ満員の盛況で、車で来やすいこういう所へお客さんが集中してしまうのでしょうか。

食事の後は、まだ時間が早いので、僕がお願いして鋸山へ向かった。

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名前は昔から聞いていたのだが来たのは初めてだ。ケーブルで上をめざしたのだが、そのケーブルの古さ加減(昭和37年完成とあった)や、乗り口でお客さんのグループごとの写真を撮るやりかたが、なんともレトロな感じで、(我が会の幹事長は写真をお断りもうしておりましたが)何でもかんでもお金を落としていってください、もう二度とこないでしょ、という雰囲気は、これはこれで、古きよきころの由緒正しい観光地の趣があった。

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鋸山の上からは、東京湾が見下ろせ、対岸の久里浜火力発電所の煙突、横浜のランドマークタワー、遠く六本木ヒルズなども見渡せた。山にはうっすらと雲がかかり、もう丹沢や富士山は見えなくなっていた。

下りはハイキングコースを歩いて降りた。

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これが今日のハイキングの会の始めてのハイキングらしい歩きになった。

照葉樹林の尾根道は所どころ細く切れ落ち、石積みの古い階段は踏みしろ部分が削れ、苔むしてなかなか趣のあるコースだった。

車に乗って、帰路につくころ突然雨が降り出し、一時本降りになるほどだった。
「車に乗ってからでよかったね」などといっているうちにその雨もやみ、その後アクアラインの海ほたるで休憩して、海を眺めたり、お土産を買ったりして帰ってきた。

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いつもながら、リーダーのN君と、幹事をしてくれるS君、お世話さまでした。

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2009年1月23日 (金)

オバマ大統領就任の続き

先日の友人が、うろ覚えで言ったのでと、メールの言葉の英文をくれました。

Rosa sat so Martin could walk; Martin walked so Obama could run;

Obama is running so our children can fly!

マーティンが歩けるようにローザが座り、オバマが走れるようにマーティンが歩き、
子供たちが飛べるようにオバマが走る。

または、
ローザが座り、マーティンが歩き、オバマが走る、
子供たちが飛べるように!

訳が違ったらごめんなさい。(英語はからっきしだめです)

ローザ・パークスは白人に席を譲らず逮捕されました。黒人解放を叫んだマーティン・ルーサー・キングJrは暗殺されました。不屈な精神で公民権運動をやった先人たちが他にも大勢いたのでしょう。

アメリカには建国前から奴隷制度があって、長い長い人種差別の歴史に思いをはせると、僕などが想像できないほどの重い、苦しい歴史なのでしょう。そしてやっと黒人の大統領が就任した。そう考えると上の言葉の意味が少しだけ理解できるような気がします。

早く人種差別ない世界が来ると良いのですが。

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2009年1月21日 (水)

アメリカ大統領の就任演説

昨夜、アメリカでは黒人初のオバマ大統領の就任演説があった。

じっくり読むと深い意味のこめられた演説のような気がしますので、全文は毎日新聞のものを下に載せておきます。

http://mainichi.jp/select/today/news/20090121k0000m030175000c.html

ついでに、昔ニューヨークにいたことのある友人からのメールを添付します。

先日酒を飲んで話したときに、今日の日を待っていると言っていました。

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(友人のメールの抜粋)

歴史的瞬間を待つ間の高揚感は久々のものでした。アフリカ系友人は友人を訪ねてワシントン近くまでドライブしていくそうです。私はちょうど40年前に桜見物のためにワシントンを訪ね、あの議事堂やモールを歩きました。その前年にキング牧師が暗殺されたのでした。その牧師の演説は、教員になってから私の最終講義の十八番にして、毎年必ず全演説を聴かせていました。ウズベキスタンでも使いました。このキング牧師を熱っぽく語っていた友人です。

今回のオバマ演説には、歴史に残るような決め言葉はなかった気がしますが、彼と歴代大統領の一挙手一投足に釘付けになりました。人種差別の長い歴史を思い起こすからです。ローザが座り、マーティンが歩き、バラクが飛ぶ、という言葉があるそうです。直面する困難を乗り越えてほしいと願うばかりです。

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文章のなかのローザは、ローザ・パークス、1955年アラバマ州で白人に席を譲らなかった女性です。

マーティンは、マーティン・ルーサー・キング牧師。

そしてオバマ大統領です。

僕は英語ができないので、今朝の新聞でオバマ大統領の就任演説を読みました。

彼は、昨夜眠らずに演説を待っていたそうです。

今、最強の軍備を持ち、世界を支配するアメリカ。

ぜひ、これを機会に、アメリカが変わること、世界の平和を願わずにはいられません。

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2009年1月20日 (火)

咳!インフルエンザでもなそうだけど

咳が止まらず、喉も痛いので病院へ行って薬をもらってきた。

熱も特にないし、インフルエンザではないように思うのだけど、とにかくうっとうしい。

ここのところ乾燥した天気が続き、寒い釣りのあとは同窓生仲良しグループとの宴会があったりして、とはいえそれほど疲れたという印象もなかったのだけれど、どうも調子が上がらない。昨日は薬をもらったついでにあちらことらうろついて、結局1万歩をクリアーしてしまった。

今日はおとなしく、とにかく体調を整えることに専念しようと思う。

寝るのが一番か!

と思うのだが、いざ寝ようとすると不思議に眠れない。

薬の注意書きには「眠気を伴います」と書いてあるのだが。

昨日の温かさは、そろそろ花粉症が始まるような予感もする。

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2009年1月17日 (土)

寒さの中でタチウオ釣り

昨年の暮れから、年が明けたらタチウオでも釣りに行きましょうという話しが盛り上がっていて、最初は9日にといっていたのだが、あいにくの天気で断念、やっと昨日行ってきました。船宿はいつもライトアジでお世話になっている川崎のつり幸さん。

ここにきて日本列島は、まこと正しい冬になったようで、朝晩の冷え込みが厳しく、テレビの気象予報士は半分うれしそうに、自分の手柄のように「明日の朝は冷え込みが一番厳しくなるでしょう」などとおっしゃっているそのさなかの釣りになった。

こんなに寒いから船もすいているのかなと思いきや、なんと13人のお客さん。東の空が白々と開けるころ、船は運河を走り、東京湾を一路久里浜沖へと向かった。行程約1時間。その間船の客室で話した人はなんと81歳。昔はタンカーに乗っていて、つい最近まで大型船を岸に繋留する仕事をしていたという、本格的な海の男といった人であった。東京湾にはいろいろな船が居て、その方は、それらの船を指差し、「あの大型船でも今は3人ぐらいで操舵している。昔は6人ぐらい乗っていたけど船が良くなったからね。」聞くと昔より機械化されレーダーも発達したので、少人数で船を航行させられるということらしい。「少人数で運行するのでいろいろやることがあって、その分事故も起きるよね」とも。僕が、平べったい船を指差し「あれはタンカー」と聞くと、「いや鉱物運搬船、日本鋼管へ入るのだろう」などと教えてくれた。

東京湾の事もよく知っていて「あれが観音崎灯台」などと教えてくれる。

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船は久里浜沖のタチウオの根に着いた。棚は130m。そこから100mぐらいまで探ってくる。仕掛けは片テンビン、重り100号。船宿からもらった仕掛けに、餌は鯖の切り身。

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さて、第一投。釣り人はこの最初の一投に心を躍らせる。今日を占う第一投というわけ。

タナを取って、しゃくり始めると、船長から上げての声。ちょっと場所がうまくなかったらしい。
で、上げたら、仲間のEさんに早くもタチウオが。そして僕の仕掛けは手前祭りになっていて、道糸と仕掛けがねじれてグジャグジャしていて、ほどけない。もう最悪。こんなときはさっさとあきらめて仕掛けを切り、次の仕掛けに取り替えたほうが良いのだが、もったいなくてついグジャグジャをほどこうとする。こんなときはあせるので、気持ちまでグジャグジャの連鎖になって、結局だめ。さっさとあきらめればよいのに、と後悔とともに第二投。しばらくしゃくってくると待望のあたり。ちょっと竿を落として食い込ませてから大合わせ。で、ぐぐっと竿が重くなって魚がかかるはずなのに、重くならない。要するにすっぽ抜け。ちょっと合わせが早かったようだ。そのうち2匹ゲットして、どんどんつれてくるのかなという感じがあったのに、その辺からあまりあたりがなくなり、周りの人もあまり釣れないようで潮止まりの感じかな。

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そのうち、釣れない僕を見るに見かねた船長がしゃくりの仕方を教えてくれて、それはこういう感じ。まず竿先を1.5mほどグイッとしゃくり当りを待つ。タチウオが食っていればそのときさお先にごつごつと反応があるから、そしたら一度竿を落とし、もう一度大合わせをする。タチウオが一度飲んだ餌を思い切り合せることであごに針掛りさせないとだめだよと。ウーンそうか、要するにしゃくりと合わせ両方とも中途半端だったのか。

その通りにやると、確かに針にかかるようになり、ポツポツつれた。

ただ、100号の重りがきいて、徐々に腕が重たくなり、肩はパンパン、いやはや釣りも重労働。

周りには東京湾中のタチウオ船が結集していて、タチウオも居るのだろうが、釣り人もかなりな数で、いったいどっちが多いのか。

結局、釣果は10匹。今日のつり幸の釣果欄を見ると3-26とあった。ミヨシに陣取っていたベテランさんも4匹といっていたので、僕としてはまあまあの釣果であった。

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ところでタチウオの美味しい食べ方を聞くと、皆さんそれぞれに、塩焼きとか、僕は煮つけがうまいと思うとか、塩に漬けて干した干物がうまいよとか、刺身もいけるよとか、結局どゔやって食べても美味しいようなだ。そこで、刺身と、塩焼きと、煮付けにしてみた。

自分で釣った魚だからどうやって食べてもうまいわけ。

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2009年1月16日 (金)

運河の朝

運河の朝
運河の朝です。
まもなく陽が昇ります。

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2009年1月13日 (火)

1943年1月13日のこと

昨日は成人の日。

NHKの報道番組に、女優の森光子さんが出演していて、「新成人に何を望みますか」との質問に「とにかく平和を守り、次代に引き継いでもらいたい。これだけは切にお願いしたい」と言うようなコメントをしていた。

放浪記に出演していて、主演45年は新記録、今年5月6日自身の誕生日に2000回公演を迎えるらしい。1920年生まれ、2000回公演の日89歳になられる。

89歳で現役のバリバリなんて人は、すごいとしか言いようがない。

先の戦争を体験した人が、こういう風に戦争はダメと発言されているのを聞くとやっぱりと言うか、ツクズク戦争はいけないのだと感じるし、勇気も出てきます。

ただ、インタビューを見ていて森さんの表情が、ちょっと硬い感じがしたのが気になりました。さすがに89歳を迎えようとしているわけで、以前のような表情豊かなという訳にはいかなかったようです。ますますご活躍なさって、記録を伸ばしていただきたいと思います。

そして、過去の今日のことをひも解くと、1943年、僕が生まれた年の今日「ジャズなど英米の音楽が「敵性音楽」とされ演奏・レコード発売が禁止に」とありました。この年は太平洋戦争がはじまって2年目に入ったころでした。鬼畜米英が叫ばれてひさしく、野球用語も英語は使えない時代でした。そんな時代なので当たり前のような気がしますが、ジャズは開戦2年目に禁止したのですね。それまでは一部の人の音楽と言うことで大目に見られていたのかも知れません。

ネットで探してみると、当時情報局が出していた週報の記事を掲載されているページがあって、その方の当時の記事をコピペします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「大東亜戦争(太平洋戦争のこと)もいよいよ第二年を迎え、今や国を挙げてその総力を米英撃滅の一点に集中し、是が非でもこの一戦を勝ち抜かねばならぬ決戦の年となりました。
大東亜戦争は、単に武力戦であるばかりでなく、文化、思想その他の前面に至るものであって、特に米英思想の撃滅が一切の根本であることを思いますと、文化の主要な一部門である音楽部門での米英色を断固として一掃する必要のあることは申すまでもありません」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

当時の世相の一端が見られる興味深い一文です。今思えば、誰が考えてもジャスを禁止して戦争に勝てるなんて思わないとおもうのですが、当時は真剣にこんなことを国が考えていた。こういうのを狂気の沙汰と言うのでしょう。

そして今、パレスチナ戦争が起こっています。ガザの死者は800人以上になり負傷者は3600人を超えています。国連学校も攻撃され40人もの人がなくなっています。イスラエルが白リン弾を使ったという記事もあります。人を殺すことをなんとも思わない戦争。

神様を持っている人たちが人殺しをしあう戦争。いかに人の気持ちを狂わせてしまうのか。

狂気の沙汰です。

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2009年1月10日 (土)

1000人の市民によるボレロの映像

昨年暮れに川崎で行われた、2008 少年の祭典 ボレロの映像です。小さい楽器から静かに小さく始まり、徐々に大きく、大勢が演奏、合唱して盛り上がっていきます。指揮者を取り巻くように舞台にはオーケストラ、客席に合唱隊がいてカメラでとらえきれませんでしたが、雰囲気だけでもご覧ください。16分ほどの演奏を4分に縮めました。

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2009年1月 9日 (金)

健康診断異常なし たぶん

昨日8日は、胃カメラ検査。

カメラを鼻から入れて、「楽ですよ」などと言われるほど楽ではなかったのだが、やってきた。

前回のブログで検査の様子を克明に書いて、2、3、ひんしゅくを買ってしまったので今回は省略。

結果は、異常なし。どうも胃のバリュームけんさが間違えた映像を捉えたようで、胃カメラでは「この辺なのだが異常が見つからない」と検査の若い先生がいっていた。「とりあえず、この辺の粘膜を取って検査しておきましょう」などと言いながら、胃の粘膜を採取していた。

なんだか拍子抜けしちゃって、本来なら喜ぶべきことなのに、なんとなく素直に喜べず複雑な思いで帰路に着いた。まぁ、結局元気なわけだから、それでは久しぶりにウォーキングと思い、4駅分ぐらいを歩いて帰る事にした。

暮れからまともに歩いていなくて、本当に久しぶりなので、歩いているうちにだいぶ気分も楽になってきて、花を見る余裕も出てこんな梅の花。

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寒いけれど自然は着々と春に向かっているようだ。

ところが、そのうち疲れてきちゃって、考えてみたら昨夜9時過ぎから何にも口に入れてない。それ以前も、流動食とか、おかゆとか、そんなものばかりのわけだから、エネルギーがないわけです。

帰ってから、お昼をたくさんいただきました。

これで、一連の検査も終わり、特に異常もなかったので(最終結果はこれからだけど、まぁ、大丈夫でしょうと楽観的に考えています)これから、また新しい年らしく、新しいことにチャレンジしていこうかなと思い始めているところです。

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2009年1月 6日 (火)

新しい年の初めに大腸ポリープ発見

新しい年が明けて、なんとなく今年も元気に行こうなんと思っている方も多いと思いますが、僕の方は、ちょっと複雑なお正月でありました。

暮れに健康診断結果を聞きに来るように、かかりつけの診療所から電話があり、行ったところひとつは胃に怪しい影があるので胃カメラの検査を、もう一つは検便の結果便潜血が見られるので大腸の検査をするように言われた。毎年の検査では、なかった異常がなんと一挙に2つも出てしまった。まぁ、今回の検査では検査中に何度も同じとことを繰り返し見なおしていたり、やり直しをさせられたことでおおむね予想はついていたが、いざ「再検査ですよ」と言われると、これはこれでちょっと落ち込む。さっそく予約を取りましょうとなって、看護婦さんがまず関連病院へ電話をして胃カメラの予約を取ってくれた。やり取りを聞いていると「今年はもう無理ですか」「年明け。8日までダメ。そんなに込んでるの」などと言って、僕にむかい「1月8日ですけど、いいですか」と言う。良いも悪いもなく、もうやるしかないわけで、小さい声で「はい」とだけ答えた。

大腸検査の方は専門の病院に紹介状を書いてくれて、○○先生御侍史と書いてある封筒を持って予約を取りに出かけた。ところでこの「御侍史」て何だろう。読み方は「おんじし」、別に「御机下」(おんきか)などと言うのもあるらしい。先生同士の相手を敬うためにつける紹介状用の言葉らしいのだ。聞かないと分からない。で、こちらは年明け5日でどうですかという。5日は年初めのあいさつ回りに行きたいなどと言ってみたものの予定表を見ると6日から8日まで詰まっているようなのだ。どうしたものかと考えていると、看護婦さんから「早い方が良いですよ!」と言う、有無を言わせぬ一撃的言葉があり、気がつくと次の瞬間「はい」とうなずいて、決まってしまった。その後こまごまと、前の日は夜9時以降食事は禁止とか、翌日朝からの排便のこととかの説明を受けて帰ってきた。

そして年末年始休暇に入り、なんとも平常を装うとするけど落ち着かず、元気も出ないお休みを過ごし、毎年正月には近くの小さな山に登ったりするのも、なんとなく行かずに終わって、昨日検査を受けたのだ。

前日の夜は9時にセンノサイド2錠を飲み、当日朝7時にナウゼリン1錠を飲む。コップ1杯の水でと書いてある。その15分後からマグロコールPを1.8リットルの水に溶かした液を200mlずつ10分置きに飲まねばならない。これ全部腸のなかの「う○ち」を出すための作業です。マグロコールの溶液はちょうどスポーツドリンク風の味でまあまあ飲めるのだが、これを一気にと書いてあって、何とか3杯くらいまでは一気に飲めたのだけれど、さすがに4杯目あたりから途中で一息入れないと飲めない状態になって、これも結構それなりに大変な作業だ。それと10分置きと言うのも、じっと時計を眺めているようだと結構長いし、新聞などを読んでいると、ちょっと興味のある記事にぶつかったりするとあっという間に15分ぐらいたっていたりと結構難しい。そこでキッチンタイマーをぶら下げ、10分間新聞などを読んだりパソコンをいじったりして過ごす。飲み始めて50分ほどしたころ、いよいよむくむくと便意が頭をもたげて、しきりに腸をゴロゴロ言わせ、もう耐えられないとばかりにトイレに駆け込み、出たい奴はみんなでろと言いつつ、表現は悪いがドーッと出すことになったのだ。 その後も10分置きを繰り返し、ドーッと出る奴もそのうち液体と化し、そうなるとドーッとではなくジョーですかね。それを4回ぐらい繰り返したころ当の病院から電話が入り、う○ちの状態を聞かれ、まだちょっと茶色ですなどと答え、「粒々がなければ病院へ来てください」なんて言われて出かけて行った。最後は病院のトイレでしたものを見てもらい、これならだ大丈夫となった。

ここまで書くと、経験のある方はフムフムこれでやっと半分、などとうなずくのだと思いますが、はじめての経験だとどれもこれもわからないことなので、ある意味新鮮なことが多いのだ。だいいち腸の検査のためにお尻からカメラを入れるということを考えたのもすごいが、その前に、これらの薬で腸を空にしちまおうなんて考えることもすごいことでしょ。はじめの実験段階では、とにかくカメラを入れてみたら、う○ちだらけで何も見えなかったなんてことがあったのかしら。と、考えたところでまたまた疑問がわき起こる。腸の中にある物体は、う○ちなのだろうか。口から入るときは食料だよね、胃の中でも食糧でしょ。どこからう○ちになるのだろう。肛門を出た時に晴れてう○ちになるように思うのだが違うのかな。腸内でも栄養を摂取していると聞いたのだけれどもどうなのだろう。

さていよいよズボンやパンツを脱いで、渡された後ろに窓があるパンツと履き替える。看護婦さんに「こっちが後ろですからね」などと念を押されて。「アーァ・・・」なんかねー・・、なんと言ってられない。覚悟をきめてベッドに横になり、「準備できましたー」と言って、点滴開始。しばらくしてカメラ室に移動して、いよいよカメラの挿入です。なんかこの場面だけ厳かな雰囲気が漂い、丁寧な言葉になってしまします。ドキドキいたします。気を取り直して「このモニターに映るんですか」などと聞いて、気を紛らわせようとしていると「そうですよ。カメラを入れやすいようにゼリーを塗りますよ。冷たいですよ」などと返され、冷たいと思った次は先生の声で「ちょっと見せてください」となり、「いやその・・・」と心の中でつぶやいた次の瞬間、肛門に激痛が、思わず「イテー」と言ってしまいました。そりゃそうでしょう、肛門は、ものを出すようにできていて、う○ちする時でも、大きなのが一本でにょっきり出たときなんぞなんともいえぬ爽快な感じで、まさしく日本晴れ!的な感じがするでしょ。そこへ逆に入れるわけですから。

と思っていると、モニターには僕の大腸のなかの様子が映しだされていて、「へー、これが僕の大腸の中なんだ」と始めてみるのだけれど妙に近親感が湧いたりするわけです。ところがカメラが大腸につきあたり、曲がり角で曲がろうとするときのあの大腸をつつく感じ、あれが痛いのとはちょっと違った妙な、気持ちの悪い感じがするわけで、あの感じには閉口します。

「ハイ、ここが小腸から大腸の入口。これから検査しながらカメラを抜いていきますから」「結構きれいな腸だね」確かに見ているときれいなピンクの下地に細かい毛細血管がちりばめられたきれいな映像だ。「ハイ、見てください。これがポリープです。今、とりますからね」「○○いれて。アッ、変えよう。○○にして」などと先生がおっしゃって、カメラの先端から小さな金物が出てきて、そのポリープを取ってくれた。一個。

そのあと、先生の説明で、便潜血の原因は痔だそうで、「大したことないのでこのままでいいでしょう」とのことだった。「2週間後に結果を聞きに来るように」と言うことでやっと検査は終わった。若いころ仕事で無理をしたり、暮れの宴会が続いたりすると時々お尻が痛くなった。最近はなかったのに原因が痔であったとは、まあ、他の病気でなくて良かったとしておこう。帰りに指定食のお土産を渡され、昨夜は流動食、「ポリエクトミールの第一食、濃厚流動食レモンティー味」、これがスッゴクまずい。飲んでる途中で「ゲーッ」となりそうだった。こんなの飲んだら病気になるのではないかと思うぐらいまずい。メーカーさんには改良してもらいたい。そして今日は第二食、第三食と言う、お粥を食べている。

あ、そうそう、術後にすごくお腹が張って、おならが出切るまで痛かったりするので、ねんのため。

年初めのブログなのに、なんともテーマが悪いのだが、これから体験する方にとって参考になればと思い書いてみました。書き終わってみると、大した参考にもならないね。

それでは参考に病院の待合室に貼ってあった大腸の仕組みの絵の写真

Pict0019

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2009年1月 1日 (木)

映像、富士山 モルゲンロート 2009

年が明けました。今年もよろしくお願いします。新しい年の始まりは、富士山のモルゲンロートの映像です。今年が良い年になるように・・・。

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